諏訪大社 上社本宮

建御名方神は丹後の海部氏の先祖が支配していた若狭湾を避け、出雲の影響力があった能登へ上陸。
東へ進み立山連峰や北アルプスを廻り込み、直江津から北国街道を南へ下り諏訪へ。

出雲と東海勢力は前方後方墳(四角四角)の分布により、国同士つながりがあったことが分かっています。
大和から隠れるように東海勢の勢力下へやって来たのではないでしょうか。

やっと諏訪大社に着きました。
上社 本宮、前宮。下社 秋宮、春宮と4社で成る神社です。
今回は上社本宮に来ました。
こんなに凄い神社だったのか。。
風格、スケールなど第1級です。
4社全てで
建御名方神とその妻が祀られています。
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本殿がなく拝殿から後ろの御山を祀る神奈備と呼ばれる大変古い様式です。
最古の神社とされる奈良の大神神社と同じ形態です。

伊勢系に見られる極彩色のものはありませんが、出雲のシンプルにして力強い雰囲気を感じます。
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来てみて知りましたが、諏訪は「縄文の王国」と呼ばれるほどの地。
2、3世紀においても有力な豪族がいて、多くの人達が住んでいたのでしょう。
そうすると出雲の国から逃げてきた人々を受け入れたのには何か理由があるはずです。

出雲は強大国の一つでした。またその立地から推測すると鉄をはじめとする大陸からの先進文化を出雲の人はもたらしたのではないか。
きっと歓迎されたのではないでしょうか。

ここには大和の伝承では諏訪まで追い詰められ、殺さないでくれとした情けない姿は微塵もありません。
「お諏訪様」と呼ばれ、軍神として崇められている建御名方神。
大和の騙し討ちにあいながらも出雲の人々を逃がし、ここで繁栄を築いたもう一つの姿が浮かび上がります。

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島根の美保関から能登半島まで約300km、羽咋市から直江津経由で諏訪まで約400km。
長い逃避行の末、この地で歓迎されたと思うとなにやら少し救われた思いがします。

籠神社、気多大社、諏訪大社と廻ってきましたが、神社は歴史の証人のようでした。

 

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by nosaphoto | 2015-08-01 17:14 | 諏訪 | Comments(0)
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