唐古鍵遺跡は不思議な集落です。
弥生集落は数多く存在していましたが、弥生時代の途中にほとんどが廃絶していきます。 そんな中この集落は残りました。 どうも邪馬台国の前期、卑弥呼の時代も大きな集落であったようです。 弥生時代後期、倭国は戦乱の時代となります。 その時、銅鐸がどんどん大きくなっていきます。 小さな銅鐸は全国各地で作られたようですが、大型の銅鐸は成分分析から同一の工房で作られたと見られ、 その生産地がこの唐子鍵のようです。 これは進んだ技術を取り入れたために出来るようになりました。 下の写真は出土した人骨(レプリカ)とそれから復元した顔です。 渡来人とみられます。 彼らが新技術をもたらしたのでしょう。 (写真は唐子鍵遺跡ミュージアムにて撮影) この集落には700人前後の人たちが住んでいたようです。 周辺の勢力が潰そうとすればいつでも簡単に潰せたはずです。 なぜ残ったのか。卑弥呼を女王とする纏向のすぐ近くで。 しかも鏡の時代になってからも銅鐸を作り続けた理由はなにか。 この謎が大和と尾張勢の複雑な政治情勢を知るカギにもなりそうです。
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| 2016-10-13 20:11
| 奈良
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