カテゴリ:奈良( 4 )

橿原神宮より新春初祈祷の案内

橿原神宮より紀元2677年の新春初祈祷の案内をいただきました。
去年の10月に改修中の本殿を見るのに住所を書いたからかな。
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中には人形代(ひとかたしろ)が4枚、車形代が2枚同封されていました。
人形代には名前・年齢を書いて、頭・胸・腕を撫でて祈念を込め、息を三度吹きかけるのだそうです。
車形代は車両番号と名前で車を撫でて、共に郵送でいいとのこと。
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同封のパンフレットには明らかに香が炊き込めてあるし、やはり国家事業の賜物という感じがする神社です。
半端なことはしませんね。

 

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by nosaphoto | 2016-11-20 16:10 | 奈良 | Comments(0)

唐古鍵遺跡

唐古鍵遺跡は不思議な集落です。
弥生集落は数多く存在していましたが、弥生時代の途中にほとんどが廃絶していきます。
そんな中この集落は残りました。
どうも邪馬台国の前期、卑弥呼の時代も大きな集落であったようです。
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弥生時代後期、倭国は戦乱の時代となります。
その時、銅鐸がどんどん大きくなっていきます。
小さな銅鐸は全国各地で作られたようですが、大型の銅鐸は成分分析から同一の工房で作られたと見られ、
その生産地がこの唐子鍵のようです。
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大型化ししかも細かい文様が入るようになります。
これは進んだ技術を取り入れたために出来るようになりました。
下の写真は出土した人骨(レプリカ)とそれから復元した顔です。
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渡来人とみられます。
彼らが新技術をもたらしたのでしょう。
(写真は唐子鍵遺跡ミュージアムにて撮影)

この集落には700人前後の人たちが住んでいたようです。
周辺の勢力が潰そうとすればいつでも簡単に潰せたはずです。
なぜ残ったのか。卑弥呼を女王とする纏向のすぐ近くで。
しかも鏡の時代になってからも銅鐸を作り続けた理由はなにか。
この謎が大和と尾張勢の複雑な政治情勢を知るカギにもなりそうです。

  

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by nosaphoto | 2016-10-13 20:11 | 奈良 | Comments(0)

大神神社



JRのCMでも紹介された奈良の大神神社。
大和中枢の地にありながらそこで祀るのは出雲の神。
古事記の謎、日本の歴史の転換点がここにあります。
ここのページから少しづつ謎に迫る予定です。

http://newkojiki.com/2016/06/02/三輪山の神は出雲の神/

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by nosaphoto | 2016-06-02 17:37 | 奈良 | Comments(0)

宗教改革の地

知人を連れて、奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社に行ってきました。
ご神体を持たず三輪山そのものを祀る「神奈備」と言われる大変古い信仰形態を持つ神社です。
最古の神社とも言われます。
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そしてそのすぐ近くにある箸墓古墳。
箸墓(はしはか)は卑弥呼の墓の最有力候補の古墳です。

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魏志倭人伝では女王の卑弥呼は重要な事は占いで決めたとされます。
その当時(3世紀)日本のトップは祭祀者(巫女)であった、つまり宗教国家だった訳です。
5世紀には天皇制が確立されてますので、その間の4世紀に大きな変革があったことになります。
天皇がこうしたいと考えた政策を巫女が神に尋ねたら「吉ろしからず」なんて言われたら甚だ都合が悪い。
巫女が尋ねた時にだけ降りてきて何か言う神から、常にそこに居られ人々の願いを聞く神へと変わって行く必要がありました。
その場所がまさしくここだったと思うのです。

 

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by nosaphoto | 2015-10-15 20:27 | 奈良 | Comments(2)