カテゴリ:古事記( 14 )

神社と寺の構成要素

伊勢の内宮です。
この神社は「しめ縄」がありません。
人の頭の辺りに注目ください。
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2016年4月撮影

「榊」を使うのです。
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同上
出雲大社です。
一度見れば忘れられない大きなしめ縄です。
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2015年3月撮影

下の写真は出雲の神魂(かもす)神社です。
拝殿があり本殿が繋がる大社造りの構成がよく見えます。
伊勢神宮は建物の広い方に出入り口を作る平入りで、出雲は狭い方から出入りする妻入りです。
しかしながら神社の三大構成要素である鳥居、本殿、ご神体はしっかりとあることが分かります。
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同上

寺はどうでしょうか。
善光寺です。
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2015年5月撮影

寺は山門をくぐると本堂があり、中にご本尊が置かれます。
鳥居、本殿、ご神体の神社と構成要素が一致します。
これは偶然ではありません。
このことから神社の起源を明らかにすることができます。




 

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by nosaphoto | 2016-10-27 18:01 | 古事記 | Comments(0)

内宮 覆屋

13日(月)に「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」という番組で伊勢神宮の特番をやってました。
番組の最後、神宮でも「秘中の秘」と言われる心御柱を守る覆屋(おおいや)が映りました。

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大物忌という童女だけが祀ることが出来る心御柱。
どうも記紀編纂、伊勢・石上・出雲の宮の建立と続いた国家事業の集大成がここにあるように思えます。

覆屋の写真と番組HPへのリンクを載せておきました。
http://newkojiki.com/2016/06/19/2016年6月13日(月)|お坊さんバラエティ ぶっちゃ/

 


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by nosaphoto | 2016-06-19 22:17 | 古事記 | Comments(0)

校正紙、カバーデザイン、帯文初稿締切り

今週はほぼ印刷のカタチに近い原稿「校正紙」、カバーのデザイン、帯文の最初の案の締切りが重なりました。
なんとか間に合いそうです。
で、実際のカバー(表紙)には使わないことになった埴輪の写真です。
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久しぶりにPhotoShopのトーンカーブまで触ってみたんですけど、あまり写真が目立ってもいけないので没でした。
「八雲立つ出雲風土記の丘博物館」での撮影でした。

 

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by nosaphoto | 2016-06-15 18:01 | 古事記 | Comments(0)

「古代史の旅」サイトを立ち上げました

10月に出版を予定(下記リンク)していますが、なかなか描き切れないこともあります。
新しい考古学上の発見も続いています。
銅鐸の使い方も2015年4月に淡路島で発見された銅鐸内に音を鳴らすための舌(ぜつ)が
あったことから、吊るして内部を叩いて音を出していたことが分かりました。
推測はされていましたが、はじめての物証でした。
進展が続き、新しい知見が出てきています。
こうした情報を追いかけ、共に進化していくためにこのサイトを作りました。
http://newkojiki.com/

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銅鐸 古代出雲歴史博物館

 


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by nosaphoto | 2016-05-29 23:32 | 古事記 | Comments(0)

桃太郎伝説

ちょっと遊んでみました。

昔話の桃太郎。
崇神天皇の時代、全国平定に活躍した四道将軍の一人である吉備津彦命が西道に派遣され、
その活躍が桃太郎伝説として残っているとするのが通説です。
ゆかりの地とされる岡山の吉備とも通じるものがあります。
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絵はイラスト無料素材のwanpugから引用しました。

別の説を考えてみます。
神武天皇の東征は日向を出て、北九州・広島・岡山と寄りその後苦労して大和へ入ります。
広島に7年、岡山に8年も滞在して16年ほども掛けての長旅でした。
つまり軍勢を養いながらの遠征であったことが伺えます。

日向を出た一行は各地で兵を募集しながら大和へ向かった。
参加すれば報酬も出した。
最後に寄港したのは岡山で、この地の人々からすれば外人集団。
当時の特に九州の言葉は外国語のようなもの。
いろいろな国の言葉を話し、慣習も違うグループの一団がある日突然船で現れた。
ここでも報酬を出しながら兵を募った。
その後、大和へ向かうために船出。
大和の地を制圧した神武一行は、最後の寄港地であった岡山へは特に多くの
謝礼、宝を送った。
めでたし、めでたし。

突然の出現、いろいろな動物、吉備団子という褒美、鬼退治、多くの宝など構成要素が繋がります。
但し戻ってきたのは、桃太郎ではなく吉備出身の兵達でした。

 

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by nosaphoto | 2016-05-24 20:57 | 古事記 | Comments(0)

やっと一息

前回ご紹介した推敲原稿(文字だけ)のあと、図や写真が入った確認用原稿のチェックが終わりました。
かなり修正箇所が出てきました。
この後1,2週間で出版社が印刷物に近い校正紙に仕上げます。
少し自由な時間が取れそうです。

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戸隠連山と北アルプス

2000m近くもある戸隠山は400万年前は海底だったそうです。
造山運動など変化の激しい島国ですので、地震も多いわけですね。

 

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by nosaphoto | 2016-05-16 20:01 | 古事記 | Comments(2)

推敲中

元の原稿に編集者が手を入れた推敲用原稿が連休前に送られてきました。
その推敲用原稿を確認するのに「7日間」かかって未だ推敲中。
ゴールデンウイークどころか鉛のような1週間です。
最近は大型連休と呼んでゴールデンウイークってニュースでは言いませんね。もはや死語でしょうか?

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古事記写本 島根県立古代出雲歴史博物館蔵

古事記の原本は残念ながら残っていません。
最古の写本は室町時代のもので、2種あります。
その中の一つです。
事代主とか百八十神(ももやそのかみ)などの字が見えますので、国譲りの場面でしょうか。

 


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by nosaphoto | 2016-05-05 20:37 | 古事記 | Comments(0)

倭人の習俗

博物館の自由に撮影できる場所で撮った写真も出版する際には許可を取る必要があるのだそうです。(知らなかったなぁ)
そんなやり取りの中で見ていた「出雲弥生の森博物館」の模型の写真です。

魏志倭人伝では
男子はみんな髪を露わにしたままで結い、木綿によって頭上に巻き上げている。
衣服は広い布を束ね結んで繋げている。ほとんど縫っていない。
成人の女子は髪を振り乱しているか、曲げて結い上げている。
女子の衣服は単衣でその中央部に穴を開けて、頭を通して着ている(いわゆる貫頭衣)。
ここの館長さんが凝りに凝って作った模型だそうです。
入れ墨もしっかりありますね。

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「敬意を払うべき有力な相手に出会うと、ただ手を搏つだけで、それが(中国人のする)跪拝に当たる」とあります。
こんな感じだったのでしょうか。
黄色い服は吉備から来た人たちで、赤い服は出雲の人です。
出雲の王の葬儀には吉備から人が来ていたようです。
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吉備の特殊器台です。
この上に器や土器を置きます。
吉備国でしか作られていません。
吉備は出雲、大和に影響を持っていたと考えられています。
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これはおまけです。
古代の人々は歩くときに左手と左足を、右手と右足を同時に前に出したという説があります。
「ナンバ歩き」と呼ばれますが、確証はありません。
これは館長の勇み足じゃないかな。
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あと著作権で厄介なのは地図です。
GoogleもYahooもWebではどんどん使えと言いますが、紙にするときは「ゼンリン社」との個別交渉が必要になります。

 


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by nosaphoto | 2016-04-28 21:17 | 古事記 | Comments(0)

伊勢へ その(3) 内宮正殿

平成25年遷宮が行われました。
まだ新しい拝殿です。正殿はこの後ろになります。
この階段に上がるともう撮影できませんので階段の下からの一枚です。
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内宮 拝殿

その隣にある前回の正殿があった場所です。
ここを見たかったのですが、厳重に警固されてました。
警備員さんの詰め所まであり、覗き見ることは出来ませんでした。
「参ったな。これは想定外だなぁ」

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と思って帰り始めると「荒祭宮」(あらまつりのみや)という境内社がすぐ近くにありました。
ここは天照の荒魂(あらみたま)を祀る宮です。
荒魂とは災害を起こしたりという神様の荒ぶる面を指すものです。収穫をもたらす等の慈愛の面は和魂(にぎみたま)と呼びます。
内宮ではこの荒魂をわざわざ祀っています。外宮にもない珍しいものです。
天照はよほど荒ぶる面が強い神だと言うことが、祟りの話と共にこれからも分かります。
どうも荒祭宮は内宮正殿のミニチュア版の造りのようです。正殿と共に遷宮も行われます。

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荒祭宮

遷宮前の敷地に「覆屋」(おおいや)ありました。
正殿は9本の柱で建てられます。そのド真ん中の柱は通常屋根を支えたりと構造的に一番重要な柱です。
ところがその真ん中の柱「心御柱」(しんのみはしら)は屋根を支えるどころか、地上から少し頭を出しているだけで床下で終わっています。
床下は周りから見えません。
遷宮の後はこうして次の遷宮まで覆屋で守られます。誰も見ることは出来ない柱なのです。
伊勢神宮でも「秘中の秘」とされ、柱はどこで切り出され、いつ建てられるのかも一切が秘密の中で行われます。
またこの柱は「大物忌」(おおものいみ)という5歳から13歳の童女しか祀ることが出来ません。
伊勢神宮に祀られる「天照」とは何ものなのか。
この謎はここから解き明かしていく必要があります。
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荒祭宮 覆屋

目的達成で、ほっとしての帰り道。
初宮のご家族のようでした。

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大きくなって「お宮参りは伊勢神宮でした」って言えるのも、何だかいいですね。

 

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by nosaphoto | 2016-04-28 17:55 | 古事記 | Comments(0)

伊勢へ その(1) 斎宮歴史博物館

伊勢へ行ってきました。
今回は斎宮歴史博物館を紹介します。
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斎宮(さいぐう)とは斎王(さいおう)が住む宮です。
斎王とは天皇に代わり伊勢の大神を祀る人です。
一人の天皇に一人の斎王がいました。
天皇の娘、5才から20才までの皇女から占いで選んだと伝わります。
この歴史館で取り上げている斎王は8才の時にここにやって来ました。
天皇が崩御されるまで都には帰れませんので、旅立ちは父親との永遠の別れとなります。
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奈良時代から始まる国家事業ですので、伝わるものも中途半端なものではありません。
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これはなんでしょう?

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「硯」です。
こうした歴史や展示品を紹介しています。
伊勢に行かれましたら、内宮とここはぜひご覧になってください。
外宮に行かないと片参りとか言うのは後から造った外宮のキャッチコピー、マーケティングの一環ですのでまぁ気にすることはありません。
気になる方は外宮からどうぞ。

 

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by nosaphoto | 2016-04-24 23:55 | 古事記 | Comments(0)