カテゴリ:奈良( 4 )

大和は国のまほろば

羽根飾りの戦士
d0239781_1650589.jpg
絵画土器、出土物から推測した戦士の姿です。
ただ唐古鍵は平安な時代が長く続き、この格好は祭祀用ではないかと考えられています。
武器も木製、楯もかなり薄いもので実戦的ではないとのことでした。


鳥装の巫女
d0239781_16505744.jpg
鳥装の巫女の絵画土器は、唐古鍵以外の遺跡からも出土しています。
卑弥呼も同じような格好をしていたとの見方もあります。
さて、どうでしょう?
私は卑弥呼は当時流行り始めていた不老長生「神仙思想」の影響を受けており、そのために各国の
首長から支持されたのではないか。
神獣鏡や下の写真のような仮面を使った祭祀で、そして天候に左右されないように、神秘性を高めるために、
屋内での儀式をイメージするのですが。。
ここはもう少し遺跡からの発見を待つしかないようです。

木製の仮面
d0239781_16575573.jpg
この仮面の写真だけ、桜井市立埋蔵文化財センターHPから借用しました。
他の写真は唐子鍵遺跡ミュージアムで撮影したものです。

土器を重ねた井戸
d0239781_1652220.jpg
奈良は盆地といっても平野のように広い場所です。
水は大丈夫なのかと思っていたら、1m少々掘るだけで水が出るとのこと。
上の写真は底が壊れた土器を重ねたものです。
これだけで井戸の完成です。

いつものセリフですが、水はその地の信仰を決定づける大切な要因です。
大和の広大さ、水の豊富さ、そこで育った唐古鍵集落の銅鐸生産。三輪山で縄文時代から続いていた磐座祭祀。
大和はこの後、卑弥呼を女王とした「神の国」となり、
「大和は国のまほろば」とヤマトタケルに言わしめます。

 
[PR]
by nosaphoto | 2016-10-22 16:43 | 奈良 | Comments(0)

猫がいない?!

今回の奈良の旅では、弥生時代から古墳時代を中心に見て回りました。
邪馬台国辺りの時代です。

その時代、多くの動物が集落内や周辺におり、食したり、農耕を手伝わせたり、戦で使ったりしていたことが分かります。
魏志倭人伝には「倭国には牛、馬、虎、豹、羊、クグイ(白鳥)はいない」とあります。
埴輪で「馬」があるのは、4世紀に倭国は朝鮮半島に出兵します。
その時に連れて帰って来たようです。
d0239781_17195615.jpg
唐古鍵遺跡ミュージアム蔵

馬引きの顔には入れ墨があります。畿内でも入れ墨の風習があったことが分かります。
d0239781_17202630.jpg

鳥装の巫女の画。土器に描かれています。服の絵はシカです。シカは重要な食物であり、神聖な動物でした。
この1頭が手に入ることで、集落の何人もの人が何日も生きることができます。
d0239781_17205932.jpg
橿原考古学研究室附属博物館蔵

馬を丁寧に埋葬しています。貴重な動物であったのでしょう。
犬も埋葬されていました。
d0239781_17190013.jpg
近つ飛鳥博物館蔵

珍しい牛の埴輪です。
d0239781_17192738.jpg
唐古鍵遺跡ミュージアム蔵

リスやサルなどいろいろな動物の骨が出ています。
すっぽんは大好物だったようで、食べた後の骨が多く出てきます。
ただ見つからないのが「猫」なんです。
このころ日本にはいなかったようです。
一説によると仏教の経典と共にやって来た。
経典をネズミのなどの被害から守るために穀物に興味のない猫が最適だったとのこと。
裏を取っていないので真偽のほどは分かりませんが。
猫好きの方は邪馬台国に住むのは少々寂しいですね。

 




[PR]
by nosaphoto | 2016-10-16 17:52 | 奈良 | Comments(0)

飛鳥寺

日本最古の寺と言われる飛鳥寺、以前は法興寺と呼ばれていました。
蘇我氏の氏寺です。
d0239781_16565968.jpg
蘇我氏が物部氏との対立に勝利するよう祈願し、用明天皇に建立を発願したのが587年と伝わります。
この初期仏教が日本の神々の姿を大きく変えました。
後日触れますが、物部氏の屋敷にも寺があったようです。
つまり仏教そのものに反対したのではなく、物部氏は祭祀も担当していたことから、日本古来の自然の中に居られる
浮遊する寡黙な神から、人格を持ち人のように話す神への変更に反対したのではないでしょうか。
なにしろ誰でも祈りを捧げることができるのなら、物部氏の力の源泉である神の意思を確かめる神秘的な能力は
必要なくなります。
d0239781_17040307.jpg
奈良は盆地といってもたいへん広く平野のようで、豊かさを感じる場所でした。
古墳時代の大和政権(王権)の急速な発展は、水運に便利で豊かな水と災害が少ないという盆地の特性を持つ
この地があってこそのことなのでしょう。
d0239781_17042314.jpg
寺の目の前に広がる風景です。
今回は多くの博物館を目まぐるしく廻る旅だったのですが、明日香ではほっとする時間を持てました。

 

[PR]
by nosaphoto | 2016-10-14 17:39 | 奈良 | Comments(0)

石上神宮

古事記で伊勢の大神宮と共に神宮(かみのみや)と呼ばれる石上神宮にやって来ました。
ご祭神は布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)です。
ご神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神です。
d0239781_19573613.jpg


神武天皇が熊野で苦戦しているとき、タケミカヅチノ神が
「まぁ、私が出ていくまでもないでしょう。代わりにこの剣を下ろしましょう」
と、出雲を制圧したときに持っていた布都御魂剣を下しました。
神武天皇がその剣を受け取った時、手に取っただけで敵の神々は全て切り倒されてしまいました。
石上神宮は大和政権の武器庫であったとも言われます。
d0239781_19581586.jpg


下の写真は拝殿です。
この後ろにある本殿は19世紀に造られたもので、それまでは大神神社と同じように本殿がない
古い信仰形態の神社でした。
d0239781_19585317.jpg


鳥は神の使いですので、それで飼っているのかな?
天岩戸前の大宴会も伊勢の遷宮も「カケコー」の掛け声で始まります。
d0239781_19592967.jpg


大きなしめ縄はなく、紙垂や榊を重要視しているようで、どうも第一印象は伊勢神宮と大神神社を
重ね合わせたような感じです。
d0239781_19595655.jpg


明日以後、大阪や近江といった大和勢と尾張勢がせめぎ合った地域を見て廻ります。

 
[PR]
by nosaphoto | 2016-10-11 20:24 | 奈良 | Comments(2)