宮崎県総合博物館。豊かさの象徴に見えました

「なんだこれ」と説明を見ると海の竜神、船の船霊(ふなだま)様を祭り、大漁と航海安全を願うものだそうです。
昔、大きな日本の企業にいた時、新しい製品や仕事のやり方など提案してくるのは九州支店からでした。
他と違い革新の気質が強いなと思ってました。
これも一歩間違えば悪ふざけになってしまいますが、よく出来てます。
何と言うか祈りを感じました。
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この博物館は無料で、子供たちが友達同士で来て土器を組み立てて遊んでいたりしてました。
住むのに本当に良さそうです。

博物館の一角にありました。さすが、派手ですね。
平成10年5月1日にリニューアルオープンを記念してのものでしょうか。
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写真にもある「天津祝詞」(あまつのりと)の初音ミクバージョンがyoutubeにありましたので、ご参考までに。
イザナギ命が黄泉の国から帰ってきて禊ぎをして、 アマテラス・ツクヨミ・スサノオが産まれます。
それに因み犯した罪あるいは穢れを祓うために唱えられる祝詞です。


 
高天の原に神留(かむづま)ります
神漏岐(かむろぎ)・神漏美命(かむろみのみこと)もちて    ← 男の神々、女の神々のこと
皇御祖神 伊邪那岐命(すめみおやかむいざなぎのみこと)
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)に   ← 日向のアワキハラ(今のシーガイヤ辺り)
禊祓(みそぎはら)い給う時に生(あ)れませる祓戸(はらいど)の大神達(おおかみたち)
諸々(もろもろ)の禍事罪穢(まがこと・つみけがれ)を 
祓い給い清め給えと申す事の由を天津神・国津神・八百万神等共(やおよろずのかみたちとも)
神たちともに 天の斑駒(ふちこま)の耳 振立(ふりたて)て聞食(きこしめ)せと恐(かしこ)み恐みもうす

 この後、2番目にこの世に現れた「カムムスビ神」に祈っているようです。 
 いろいろなバージョンがあります。

神主さんは「変な抑揚はなるべくつけず」と言ってたように思うのですが。。
まぁ、いいんじゃないでしょうか。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-11 23:45 | 九州 | Comments(0)

霧島神宮

今回の九州の旅で最後に訪れたのは霧島神宮。
ここはとにかく屋根を見たいと思ってました。
社殿を撮る時は中央に立って水平・垂直に気を付けるのが基本。もしくは完全に斜めから撮るか。
あと15cm右に寄ってれば苦労しなかったのですが、少々左から撮ったために左右シフトと回転で微調整するはめに。
神社や寺の屋根は難しいです。

ご祭神は天照大神の孫、ニニギ命です。
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ニニギ命が高千穂のくじふるたけに天下った時に
「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙の岬*に真来(まき)通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり。
かれ、この地はいと吉き地」
と申され、この地に壮大な宮殿を建てお住まいになりました。

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ニニギ命が降臨されたのは西臼杵郡高千穂町なのか、霧島連峰の高千穂峰なのか。
本居宣長から始まり未だに決着が付いていない問題です。
今回これらの地を巡り、また平安時代の書「延喜式」に高千穂町の神社が載っていないことから、私は霧島だと確信しました。
興味のある方はこちらの古代史のサイトでご覧ください。
天孫降臨の地は高千穂町か霧島連峰か
リッチリンクはどうもリンクに見えないので、通常リンクを使ってます。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-10 16:13 | 九州 | Comments(0)

九州二景

九州を廻っていて「あれっ」と思った光景です。

糸島市の伊都国歴史博物館を出たところです。
「たたなづく青垣、山隠れる」大和にそっくりだなと思いました。
両方とも邪馬台国の有力候補として論議の対象となった国です。
あの山には水源地信仰があるのではないかな?
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信濃の水内を思い出しました。
この写真で「中条だよ」と言われたら信じるかも。
西日本を訪ねていつも感じるのは、豊かさです。
住んでいる方には分からないと思いますが。
道の広さ、人、車、家、店の多さ等々。
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水内郡史を見ると、江戸時代の後期でも「〇〇村、5戸17名、XX飢饉で全滅」といった記録がいくつも載っています。
こちらではそんなことは無かったのでしょうか。

阿蘇山から高千穂町への途中でした。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-09 22:41 | 九州 | Comments(2)

宮崎神宮は護国神社?

雨も上がり霧の中、神武天皇をご祭神としている宮崎神宮へ。
この鳥居、見覚えがあるけど。どこで見たんだっけ?
シンプルですが特徴的です。
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暗い夕方は何を撮ろうか迷うことが多いのに、ここでは何も迷うことはありませんでした。
光を計算して設計したんでしょうねぇ。
逆に言えば誰が撮っても同じってことですけど。
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七五三で来られていたご家族も何組かおられました。
大人になっても覚えているだろうな。
長い歴史はこうした心に残るイベントを選び、残してきたのだと思います。
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手水場も露出を落とすと柄杓が浮かび上がってきました。
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思い出しました。
上の横棒「笠木」が反りがなく真っ直ぐで丸木。下の「貫」が平板で左右の柱を突き抜いていない。
鳥居は靖国神社と同じです。
これは護国神社で使われるものだそうです。
なぜここに?
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2015年10月撮影 靖国神社

調べてみたら、先日紹介しました神武天皇のお船出の地「美々津」は日本海軍発祥の場とされているとのこと。
皇軍の強さに因み護国神社の形態が入ってきたのでしょう。
また社殿は明治40年に造替されています。
それで明治神宮や橿原神宮のような神社としては最先端のデザインなのでしょうね。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-08 11:55 | 九州 | Comments(0)

観光誘致のモデル 高千穂町

一つ、アップし忘れてました。九州中部に戻ります。
高千穂の天岩戸神社です。
屋根の影が気になっていたら、次から次へと団体さん(1グループ40、50人?)がやって来ました。
皆さん、神職さんの話しを聞いている所です。
何グループもいます。確かめただけでも5グループ、バスガイドさん一人が1グループを担当してました。
凄い動員力です。
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ツアーを調べてみたら、何社もの観光会社が東京や札幌、大阪など全国から「天孫降臨の地、高千穂峡へ」と募集してました。
近くの高千穂神社では毎晩(!)神楽もやっているとのこと。
町としてマイカー、レンタカーで来たお客さんの車に観光協会のガイドが同乗して、観光コースの案内、神話や伝説の解説をするサービス(有料)もあるようです。
ここまで徹底している町ははじめて見ました。
写真は天の安川としている石戸川です。
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タヂカラヲ神かな。
天孫降臨の神話に結び付けて全国からの集客に成功しているようです。
次はやはり外国へ広がれば完璧かな。
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これじゃぁ、天孫降臨の地の看板は外せませんね。
ニニギ命が降り立ったとする場所を高千穂町とするか霧島連山とするか、江戸時代から続く議論です。
私の考えは今度、記紀の舞台設定や地理の視点でお話しします。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-07 16:17 | 九州 | Comments(0)

西都原古墳群 13号墓に入る

日向の西都原古墳群。
やっと南部に入りました。11月27日でした。
300基以上の古墳が造られた場所です。
しかし謎はこれだけの古墳を造る動員力があれば、その集落遺跡もあるはずなのですが、まだ発見されていません。
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古墳群にある13号墓。4世紀後半の前方後円墳です。
中に入ることが出来ます。
円墳に入口がありました。
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中は土臭いというか、独特なにおいがしました。
発掘時、粘土槨(かく)から鏡、刀、勾玉などが発見されました。
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三角縁神獣鏡は仿製鏡(ぼうせいきょう)、日本製であることが分かっています。
大和王権が配ったものでしょう。
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石が積まれていますが、これは棺を運び込んだ後に穴をふさぐために積まれたとのこと。
方向としては方墳のほう、つまり方墳から棺を運び込んだことが分かります。
外部からこの上に土が掛けられています。
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果たして記紀にあるように大和は日向勢によって建国されたのでしょうか。
供述(文献、伝承)は多いのですが、物証(遺跡、出土品)が中々でません。
大型銅鐸(見る銅鐸)の一つでも出てくれば決着がつくのですけど。。
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この近くに生目古墳群があり、畿内の箸墓古墳の2分の1の大きさの相似形の前方後円墳があります。
その調査が遅れており、詳細が未だに不明です。
もう少し様子をみることにしますか。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-06 21:53 | 九州 | Comments(0)

天岩戸神社

日向國「天岩戸神社」の公式ホームページから紹介します。
「天岩戸神社は、宮崎県高千穂町に鎮座し、日本神話(古事記・日本書紀)の中に書かれております天照大御神様のお隠れになられた
天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として御祀りしており、天岩戸神話の舞台となった場所でございます。」
そんなわけはないでしょ。
来られていた観光客の方がこれを本当に信じて
 「へぇ、そんな古いものが良く残ってたなぁ」
と言ってたので、本当のことを言うべきだなと思った次第です。
まぁ、地元愛と昔からあった地方創生の観光マーケティングが作り上げたものとして、笑って見ておくことにしましょう。

結構大きな洞くつの中に「天の安川宮」があります。
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この洞窟を天の岩屋戸として、その前を流れている川を天の安川と見立てています。
安河原は天照大神の岩屋戸隠れ、出雲の国譲りの時などに八百万の神が集まって相談した場所です。
戦後、石積みが自然発生的に始まったとのこと。
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神楽殿です。
見た感じですけど、この鏡が45cm強の八咫鏡と同じサイズだと思います。
大きさが分かりにくいですが、後ろの掛け軸と比べてみてください。
中々ないサイズです。
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天岩戸神社は全国各地にありますので、ここの神社も小さなものだろうと思ってました。
ところが駐車場は大型観光バスが何台も停まり、多くの人が引きも切らずやって来る神社でした。
社殿自体はそう大きくありません。宗像大社や宮崎神宮のような雰囲気があるわけでもない。
ただし立地で成功してます。洞くつがあり、河原があり、もしかして高天原はこうだったのかなと思わせる雰囲気があります。
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そこで思ったのが、各地で外国人のインバウンド増加(不思議な言葉です)を狙っています。
ここはほとんどが日本人だけです。他の神社も割と外国の方は少ないように思います。
歴史・文化を作ってきた日本人の信仰観や価値観を分かり易く説明する資料、外国向けの資料があったらいいのではないかな。
Webで結構調べて来られるようだし、そうすればもっと日本を理解して貰え、行き先の選択肢も増えますよね。
外国人向けの観光サイトを作っているところに提案しますか。
漫画描ける人も要りますね。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-06 21:52 | 九州 | Comments(0)

御船出の場、美々津

宮崎県の美々津へ。
神武天皇が東征の時、ここの港から船出したという伝承が残る場所です。

ミミという発音が気になってやって来ました。
タギシミミは謀反を企てますが神武天皇の子。
カムヌナカワミミも神武天皇の子で第2代綏靖天皇。
ミミを尊称とする説もありますが、タギシミミ命(みこと)と尊称を付けることから、高貴な人にのみ付けられる名前、尊いものに付けられるものだったのでは?
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耳川という川もありますので、古代の日向の方言が分かれば何か出てきそうです。

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ここは照葉樹気候というまた一段暖かい場所なのだそうです。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-06 21:43 | 九州 | Comments(4)

阿蘇 大観峰

やっと九州北部を出ました。
初めての土地は地形を知るために車で走り回ります。
阿蘇の大観峰に来ました。
見たこともないような風景です。
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9万年前までの4度の大噴火で、土地が陥没して出来たとのこと。
北海道でもこの時の土埃の堆積層が16cmほど残っているのだそうです。
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ここから高千穂と続けば、これは九州を北部と南部に国、文化を別けますね。
熊本は面白いことに鉄器王国と呼ばれるほど、弥生時代の鉄が多く出土します。
北部と有明海、島原湾で繋がっていたのか、対馬利用の了解を取り大陸との直接交易をしていたのか。
風景も歴史も興味ある土地です。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-04 22:16 | 九州 | Comments(0)

志賀島 蒙古塚


蒙古軍は文永(1274年)と弘安の役(1281年)と2回やって来ました。
2回目の弘安の役では 志賀島が壮絶な戦いの舞台となります。元軍は志賀島を占領しました。
日本軍は海上と陸続きの海の中道から総攻撃を行い、大勝しました。
写真は戦死した蒙古兵士供養のための石碑です。
たとえ敵であっても敬意を払うということかな。

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日本人が辿り着いたモノの考え方がここにあると思い、一度見ておこうとやって来ました。
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島への「海の中道」からです。
優しい光と海。
日常の慌ただしさから開放されますね。
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もう少しゆっくりと生きて行くべきかな。
最近のニュースを思い出していました、
そろそろ電通の鬼十則から水木しげる氏の「幸福の七カ条」に移りましょうかね。

 

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# by nosaphoto | 2016-12-04 08:49 | 九州 | Comments(0)