訓読「辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、タカリのスクネ。
其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。
其の児、名はハテヒ(表)
其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し
来り今に至る。ワカタケル大王のシキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、
吾が奉事の根原を記す也。(裏)」
八代に渡り杖刀人の首(天皇の警護役のトップ)を勤めてきたようです。
初代のオホヒコは日本書紀に出てくる崇神天皇の四道将軍の一人、大彦の命ではないかとも言われます。