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出雲と同じ兄弟銅鐸 共通の工人集団判明

出雲の銅鐸 島根県古代出雲歴史博物館
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2015年3月撮影


また淡路島に関係した大きなニュースが出ました。淡路島と出雲の銅鐸が同じ鋳型から作られていることが分かりました。
この発見の意味を考えてみました。
興味のある方は下の記事をご覧ください。




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by nosaphoto | 2016-10-31 20:25 | 古代史

今日正式な発行日です

本当は今日(2016/10/15)が正式な発行日なのですが、10月初めより書店で4,5日遅れてアマゾンなどWebで販売が始まってしまった
ため、一つ言いそびれてしまったことがあります。
表紙についてです。

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表紙の絵は「三種の神器」ではありません。
記紀に三種の神器という言葉は出てきません。
つまりこれは「鏡・剣・勾玉」なのです。

壇ノ浦の合戦で安徳天皇が入水される時に三種の神器という表現が使われました。
公家の時代、お互いよく知っている狭い閉鎖的な社会の中で誰が天皇があったかは明らかなことでした。
その方が持っているものが神器であり、鏡・剣・勾玉を重要視していた。
ところが武士がここに入ってくるようになると「どなたが天皇であるか?」と外からの見方が出てきます。
そこで「三種の神器」を持っているあの御方が天皇ですと、概念が変わっていったのではないか
と推測しています。

この話は出版社にもしていません。
編集者もデザイナーも三種の神器と思っているだろうなぁ。
ちょっとしたいたずら心で決めました。




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by nosaphoto | 2016-10-18 20:31 | 出版

戸隠 鏡池

夏の日の夕方「鏡池」に着いてみると白く輝いていました。
後にも先にもこんな光景は見たことがありません。

水内郡は自然信仰に厚い地であり、それ故に民間信仰最大の寺「善光寺」もここに呼び寄せました。
実はこれらが「古事記」に繋がります。
先日ご紹介しました 古代史の旅サイト でこれから明らかにしていきます。

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夏の日の鏡池

中々写真を撮りに行けず、どうもこちらは写真がないと投稿しにくいので、新しいサイトの更新頻度が高くなりそうです。
もしあちらの方でメールアドレスを登録頂ければ、更新時にお知らせいたします。
「古代史の旅」サイト
古代史や古事記にご興味ありましたらご覧ください。
メール登録は各ページのコーナーにあります。

 

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by nosaphoto | 2016-05-29 23:34 | 戸隠

「古代史の旅」サイトを立ち上げました

10月に出版を予定(下記リンク)していますが、なかなか描き切れないこともあります。
新しい考古学上の発見も続いています。
銅鐸の使い方も2015年4月に淡路島で発見された銅鐸内に音を鳴らすための舌(ぜつ)が
あったことから、吊るして内部を叩いて音を出していたことが分かりました。
推測はされていましたが、はじめての物証でした。
進展が続き、新しい知見が出てきています。
こうした情報を追いかけ、共に進化していくためにこのサイトを作りました。
http://newkojiki.com/

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銅鐸 古代出雲歴史博物館

 


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by nosaphoto | 2016-05-29 23:32 | 古事記

桃太郎伝説

ちょっと遊んでみました。

昔話の桃太郎。
崇神天皇の時代、全国平定に活躍した四道将軍の一人である吉備津彦命が西道に派遣され、
その活躍が桃太郎伝説として残っているとするのが通説です。
ゆかりの地とされる岡山の吉備とも通じるものがあります。
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絵はイラスト無料素材のwanpugから引用しました。

別の説を考えてみます。
神武天皇の東征は日向を出て、北九州・広島・岡山と寄りその後苦労して大和へ入ります。
広島に7年、岡山に8年も滞在して16年ほども掛けての長旅でした。
つまり軍勢を養いながらの遠征であったことが伺えます。

日向を出た一行は各地で兵を募集しながら大和へ向かった。
参加すれば報酬も出した。
最後に寄港したのは岡山で、この地の人々からすれば外人集団。
当時の特に九州の言葉は外国語のようなもの。
いろいろな国の言葉を話し、慣習も違うグループの一団がある日突然船で現れた。
ここでも報酬を出しながら兵を募った。
その後、大和へ向かうために船出。
大和の地を制圧した神武一行は、最後の寄港地であった岡山へは特に多くの
謝礼、宝を送った。
めでたし、めでたし。

突然の出現、いろいろな動物、吉備団子という褒美、鬼退治、多くの宝など構成要素が繋がります。
但し戻ってきたのは、桃太郎ではなく吉備出身の兵達でした。

 

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by nosaphoto | 2016-05-24 20:57 | 古事記

推敲中

元の原稿に編集者が手を入れた推敲用原稿が連休前に送られてきました。
その推敲用原稿を確認するのに「7日間」かかって未だ推敲中。
ゴールデンウイークどころか鉛のような1週間です。
最近は大型連休と呼んでゴールデンウイークってニュースでは言いませんね。もはや死語でしょうか?

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古事記写本 島根県立古代出雲歴史博物館蔵

古事記の原本は残念ながら残っていません。
最古の写本は室町時代のもので、2種あります。
その中の一つです。
事代主とか百八十神(ももやそのかみ)などの字が見えますので、国譲りの場面でしょうか。

 


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by nosaphoto | 2016-05-05 20:37 | 古事記

倭人の習俗

博物館の自由に撮影できる場所で撮った写真も出版する際には許可を取る必要があるのだそうです。(知らなかったなぁ)
そんなやり取りの中で見ていた「出雲弥生の森博物館」の模型の写真です。

魏志倭人伝では
男子はみんな髪を露わにしたままで結い、木綿によって頭上に巻き上げている。
衣服は広い布を束ね結んで繋げている。ほとんど縫っていない。
成人の女子は髪を振り乱しているか、曲げて結い上げている。
女子の衣服は単衣でその中央部に穴を開けて、頭を通して着ている(いわゆる貫頭衣)。
ここの館長さんが凝りに凝って作った模型だそうです。
入れ墨もしっかりありますね。

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「敬意を払うべき有力な相手に出会うと、ただ手を搏つだけで、それが(中国人のする)跪拝に当たる」とあります。
こんな感じだったのでしょうか。
黄色い服は吉備から来た人たちで、赤い服は出雲の人です。
出雲の王の葬儀には吉備から人が来ていたようです。
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吉備の特殊器台です。
この上に器や土器を置きます。
吉備国でしか作られていません。
吉備は出雲、大和に影響を持っていたと考えられています。
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これはおまけです。
古代の人々は歩くときに左手と左足を、右手と右足を同時に前に出したという説があります。
「ナンバ歩き」と呼ばれますが、確証はありません。
これは館長の勇み足じゃないかな。
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あと著作権で厄介なのは地図です。
GoogleもYahooもWebではどんどん使えと言いますが、紙にするときは「ゼンリン社」との個別交渉が必要になります。

 


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by nosaphoto | 2016-04-28 21:17 | 古事記